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札幌地方裁判所 昭和42年(ヨ)890号 判決 1969年4月15日

債権者

工藤清

右代理人

杉之原舜一

債務者

住友石炭鉱業株式会社

右代表者

石松正鉄

右代理人

河谷泰昌

主文

債権者が債務者の従業員たる地位を有することを仮に定める。

申請費用は債務者の負担とする。

事実《省略》

理由

一債務者会社が石炭の採掘販売などを業とし、北海道歌志内市に歌志内鉱業所を経営する株式会社であり、債権者が昭和三三年二月三日本鉱員として採用されて以来右鉱業所住友歌志内鉱の坑内で採炭夫として就業していたこと、債権者が傷病により昭和四一年六月二八日以後欠勤をつづけていたところ、昭和四二年一一月二八日会社から、右欠勤が業務外の傷病による休職であるとしてその休職期間の満了により同年一二月二七日限り自然退職とする旨の通知を受け、以来会社は債権者を会社の従業員として取り扱わないことは、当事者間に争いがない。

二そこでまず、右欠勤の原因となつた債権者の病症の発生経緯等について検討する。

(一)  (事故の発生および事故時の状況) 昭和四〇年八月七日午後六時ころ前記住友歌志内鉱の一斜坑二七五レベル若鍋一番上層西引立付近においてメタンガスの突出事故があり、折から就業中の採炭夫七名、坑内夫三名、係員一名合計一一名が被災し、そのうち債権者を含む採炭夫四名が一時失神し、債権者は失禁してズボンをぬらしたこと、その後被災者全員が右坑道から四三〇メートルの地点にある二〇〇レベル捲立まで脱出したことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によると、右突出事故により、折から債権者ら七名の採炭夫が作業中の同坑西払においても、突出現場からの排気経路にあたつていたのと、債権者らによつて既に採掘されていた石炭が坑道にかなり堆積されていて、通気が必ずしも良好とはいえない状態にあつたため、ガスが充満し、その濃度は一時的にもせよ五〇パーセントから八〇パーセントにもおよび、そのため右ガスを吸引した債権者は、右ガス突出と同時に風圧を感じ、息が苦しく、足ががくがくし、間もなく意識を失つて一〇分間程失神していたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  (事故後の症状経過と現在症)

そして、債権者を含む被災者一一名は会社の経営する住友歌志内病院に収容され、酸素吸入などの治療を受けたのち、債権者は即日退院して以後通院治療を受け、同月一七日以降一応出勤したが同年九月から二ケ月間休業加療し、その後出勤したけれど再び住友歌志内鉱業所病院、住友赤平炭鉱病院、札幌医大内科、北大精神科、市立赤平病院精神科などを転転と受診し、あるいは入院したことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、債権者は被災後頭に感覚がないうえ、頭痛、頭重、めまいなどが続き、ときどき全身が冷たくなり苦しくなるなどの発作を起し、出勤しても身体の調子が悪く、現場で倒れそうになつたこともあり、そのため、翌四一年六月二八日以後再び会社を欠勤して加療をつづけてきたものであり、現在でもなお自覚症状として頭痛、頭重、めまい、耳鳴り、はき気、手足のしびれ、易疲労性、物忘れ、集中困難、意欲減退、体重減少などがあり、他覚症状として脳神経1ないし12のうち2において中等度の視野狭さく、8において混合難聴があり、また神経学的検査で軽度の筋強剛を疑わせる所見と左親指と小指に筋いしゆくが軽度あり、内科的検査として胸部レントゲンでじん肺二度、右ちん旧性肋膜炎があり(これが後掲の後遺症でないことは明らかであるが)、心電図検査でL1(指誘導)、V2ないしV6(胸部誘導)に軽度心筋障害があることが認められ、右認定に反する証拠はない。

(三)  (債権者の右病症と前記事故との因果関係の有無)  <証拠>をあわせると、債権者が入院加療を受けた勤労者医療協会神威診療所の医師衣川義隆、勤労者医療協会札幌病院の医師内田敬止、同藤井敬三の三名は、共同して債権者を診察調査した結果、債権者が前記突出事故により坑内に多量に噴出したメタンガスを吸引した結果酸素欠乏症を起したものであり、債権者の前記病症はその後遺症であると診断していることが認められるところ、<証拠>をあわせると、メタンガスを多量に吸引した場合には窒息死するに至ることがあるのみならず、死亡に至らないときでも体内酸素欠乏症を惹起し、特にメタンガス吸引直後一時的にも意識不明におちいつた者については、右酸素欠乏症による後遺症として長期間にわたり神経症状等債権者の前記病症類似の症状を呈することがある旨の医学上の学説ならびに事例報告が、少数とはいえ従前から存在していることが認められ、この事実と前記認定のごとき事故発生時の状況ならびにその後の事情をあわせ考えると、債権者の前記病症が前記突出事故に起因するものであるとの右衣川医師らの診断結果には、一応の合理性があるものと認められる。しかしながら反面、<証拠>を総合すると、右衣川医師らの診断は前記突出事故後二年近くも経過した後に行なわれたものであり、メタンガス吸引による後遺症が存在することについては、その事例報告も数少なく、学説上もいまだ定説とはなつていないのみならず、債権者を前記事故直後から診察加療してきた住友歌志内鉱業所病院の医師らは、債権者の前記症状を単なる神経症であつて前記突出事故に起因するものではないと診断し、また北海道大学付属病院の医師高畑直彦、同宮岸勉も右症状を不安心気状態であると診断しているうえ、債権者には前記突出事故以前から硬化性結核症、たんのう症、神経痛、慣性胃炎などの各種の既往症があつたところ、かかる既住症が原因となつて前記のごとき症状を呈するに至ることもあり、さらに、債権者以外の被災者の中には一部債権者と同様の自覚症状を訴えている者があるとしても、債権者以外は全員一応就労していることも認められるのであつて、これら諸般の事情を彼此総合して検討すると、債権者の前記病症が前記突出事故に起因するものであるとする衣川医師らの診断の結論にも、にわかに左袒することができず、さればといつて、債権者の前記病症が右事故とは全く無関係な業務外の事由に起因するものと即断することもできない。

かような次等で、債権者の前記病症が前記突出事故と因果関係を有するかどうか、従つて、右病症が業務上の疾病か業務外の疾病かについて判断するには、さらに事故状況の調査、債権者を含む被災者全員の症状の精密な検査などを行なう必要があり、本件疏明資料によつては、たやすく右の判断を行なうことはできないというべきである。

三次に、債権者を自然退職とした会社の取扱が労働協約九七条に違反して不当であるとの債権者の主張について検討する。

債権者の所属する住友歌志内炭鉱労働組合は住友炭鉱労働組合連合会の一構成単位組合であり、右組合連合会と会社との間で締結された労働協約九七条〔諒解事項〕1には「医師が職業病と診断の上公症(業務上の疾病)として手続中の者に対しては、直ちに私症(業務外の疾病)としての不利な取扱をしない。」と定められていること、しかして前記二、で認定したとおり、債権者は衣川医師らによつて業務上の疾病にかかつたものと診断され、昭和四二年一二月一三日滝川労働基準監督署長に対して、労働者災害補償保険法による療養補償給付および休業補償給付の請求をしたが、同署長が翌四三年九月二七日業務起因性がないとの理由で不給付決定をしたので、これを不服として同年一〇月一八日北海道労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をし、現にその手続中であること、しかるに会社には、右手続の係属中において債権者を私症による休職者として扱い、その休職期間満了により自然退職となつたとする取扱をしたものであることは、いずれも当事者間に争いがない。しかして、

(一)  会社は、本件の場合公症認定を受ける公算が極めて薄いのであり、かかる場合は前記〔諒解事項〕に該当しないと主張する。しかし本件においては、前記二、で述べたとおり、債権者の前記病症がいまだ公症によるものであるか否か不明で、必ずしも公症でないとは断言できないのであつて、かような場合において当該病症を公症であると認定した医師があるときは、その医師の認定が明らかに不合理であると認められる特別の事情のある場合以外、その医師の判断を一応尊重して直ちに私症として労働者を不利に扱うことをしないというのが、正に右〔諒解事項〕の趣旨であると解すべきところ、前記二の(三)で述べたとおり、債権者の病症を公症と認定した衣川医師らの診断にも一応の合理性があるのであつてみれば、会社の右主張を直ちに採用することはできない。

(二)  もつとも、会社は、右〔諒解事項〕にいう「医師」については、従前から労使間の了解のもとにその範囲を鉱所属病院ないし北大病院・札幌医大病院・労災病院等の大病院の医師に限定する慣行が確立していたとして、右衣川医師らは右にいわゆる「医師」に該当しないと主張する。しかし協約の文言上「医師」の範囲につき格別の限定がなされていないのみならず、<証拠>によると、従前右〔諒解事項〕を適用した先例もないことが認められるのであり、<証拠>をあわせてもいまだ会社主張のごとき慣行の確立を認めるに足りず、また、<証拠>によると、歌志内鉱業所鉱員就業規則三三条には「公傷病で欠勤する場合には、必要により鉱所属病院の医師の診断書を提出しなければならない。」と定められていることが認められるが、右規定自体も公傷病の認定をひとり鉱所属の医師の認定に限つたものとは解されないのみならず、右の規定が会社の便宜に出でた規定であるのに対し、前記〔諒解事項〕は従業員を救済するための規定であつて、両者おのずからその趣きを異にしているのであつてみれば、右就業規則の規定も、いまだ右〔諒解事項〕にいう「医師」の範囲を限定する根拠とはなし難く、ほかに右「医師」の範囲を会社主張のごとく限定的に解すべき根拠を認めるに足りる証拠はない。それゆえ、前記衣川医師らも右〔諒解事項〕にいう「医師」に該当すると解するのが相当である。

(三)  さらに会社は、酸素欠乏症による後遺症は右〔諒解事項〕にいう「職業病」に該当しないと主張するが、右労働協約九七条本文の文言と前記(一)認定の趣旨にかんがみ、右にいう「職業病」とは業務上の疾病と同意義に解するのが相当であつて、必ずしも類型化している必要がないのみならず、<証拠>をあわせると、酸素欠乏症そのものは、近時新らしい職業病としてその存在が一般に肯定されていることが認められるのであるから、衣川医師が診断した前記後遺症もまた右〔諒解事項〕にいう「職業病」に該当すると解するのが相当である。

以上によると、債権者は前記〔労働協約〕の諒解事項にいう「医師」が職業病と診断の上公症として手続中の者」に該当することになり、従つて右条項により、会社は少なくとも右の手続すなわち労働者災害補償保険法にもとづく療養ならびに休業補償給付の手続が係属中は、債権者に対し私症としての不利益な取扱をすることができないものというべきところ、前記のとおり、会社は右手続の係属中において債権者を私症による休職とし、その休職期間満了により自然退職となつたとする取扱をしたものであり、かかる取扱が右〔諒解事項〕によつて禁止されている「私症としての不利益な取扱」に該当することは明らかであるから、事実摘示第三の二記載の会社の主張について判断するまでもなく、債権者を自然退職とした会社の措置は、その効力を生ずるに由ないものといわねばならない。

四されば、債権者はいまだ会社を自然退職したことにはならず、その従業員たる地位を依然保有しているものというべきである。

五しかして、債権者が同居家族を扶養する立場にあつて現在生活保護を受けていること、自然退職ということであれば、債権者は現に居住している会社所有の社宅を明渡さねばならぬ立場にあること、健康保険、厚生年金保険の各被保険資格や労働組合員たる資格も失うに至ることは、当事者間に争いがなく、<証拠>によると、債権者は自然退職の扱いを受けることにより生計の途を断たれ、経済的援助を求めうる先きとてなく、前記生活保護ではその生計の資とするに十分でなく、さりとて前記後遺症のため他に収入の途を求めることもできない状態にあることが認められ、これらの事実よりすれば、債権者は本案判決の確定をまつていては著しい損害を蒙るに至るものと判断するのが相当である。

六よつて債権者の本件申請を正当として認容することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。(神田鉱三 渡辺忠嗣 小山三代治)

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